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“アヌラダプラとポロンナルワ”

 

2024年11月14日

 

スリランカ旅行で行き先を決めるときに迷う人が多い点に、「アヌラダプラとポロンナルワ」はどっちに行くべきか というものがあります。

“どちらも仏教遺跡であり、見た感じアヌラダプラの方が観光スポットはたくさんありそうだ。でも、アヌラダプラだけやたら遠い。 ポロンナルワは遺跡遺跡していて規模は小さそうだ。ただ、他の観光地からアクセスが良く、移動がラクそうだ。”

とこんな印象を受けると思います。 ですので、日程がつまっているようであれば、ポロンナルワの方が良いと思いますが、どちらか良い方を選ぶとすると、きちんと違いを把握すべきかもしれません。

・アヌラダプラはインド仏教の流れを受けた古代遺跡で、大規模な修学都市があった

まず、アヌラダプラは観光地として広く、ひとつひとつの観光スポット間の移動も距離があるのでそれなりに時間が必要です。急いでまわっても終日必要かもしれません。

歴史的には、インドのアショーカ王が直々にセイロン島に仏教を伝えるために、息子のマヒンダを派遣したことからも、インド仏教が直接伝わっていて、史実も多いとされています。キャンディに釈迦の歯ひとつのために仏歯寺がありますが、この仏歯が本物とされるゆえんはインド仏教が王自らのプロジェクトとして伝わったということに尽きます。

アヌラダプラは、そういった紀元前からの由緒ある仏教都市であり、異教であるチョーラ朝により国土が破壊されてからも聖地として人々の尊敬を集め続けるのです。 また、長きにわたり王都として栄えていましたので、観光スポットの数も多いです。

・ポロンナルワは上座部仏教の聖地。シンハラ王朝が再興した土地でもあり、ロマンをかきたてる

一方ポロンナルワは、アヌラダプラに比べると遺跡の規模も小さく、終日観光すると時間が余るくらいです。ポロンナルワをアヌラダプラといっしょくたにして、「古代遺跡」と表現したりするのを見かけますが、中世の遺跡です。

アヌラダプラが古代仏教が栄えた国際都市であるならば、ポロンナルワはシンハラ王朝が復活した土地であり、その礎として仏教をゼロから再興した古都でもあり、ドメスティックな視点で最重要の史跡だといえます。

スリランカ史のひとつチューラバンサには、異教であるチョーラ朝の侵攻を受け国土が4分の1になりながら、弱冠16才であった王家の血筋を継ぐビジャヤバーフ1世が、ほんのひと握りになっていた高僧のひとりから、王朝を復活させ、仏教を再興してほしいと懇願され王になったと記述されていて、その悲壮感あふれる場面はまるで三国志のようです。

その後、シンハラ王朝は国土を回復、仏教を国教として、12世紀にはそれまであった諸派を一本化し、いまに伝わる上座部を正統と定め、インドシナ諸国に布教していきます(いわゆる南伝仏教)。

ちなみに、ミャンマーのバガンとポロンナルワは時代を同一にする上座部遺跡であり、関係も非常に深く、国をまたいだ兄弟のような遺跡というのは稀有な存在だといえます。

ポロンナルワは再びインドの侵攻を受け衰退してしまったので、廃墟に近いですが、歴史のロマンを感じるならばアヌラダプラ以上の遺跡だと言えるのではないでしょうか。

 

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