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“スリランカ仏歯の重み”

 

2024年12月29日

 

現在キャンディにある釈迦の歯“仏歯”ですが、仏歯寺に行くとその存在がいかなるものかがよくわかります。国内外から大勢の参拝客を引き寄せ、スリランカ仏教にとってのいわば神器となっています。

キャンディの仏歯寺がすごいのは、この上座部仏教界の至宝を公に見せていることでして、普通こういったものは秘匿されているので、人の目に触れないところに納められています。11世紀にシンハラ仏教の再興を援けたミャンマー・バガンに、スリランカから贈られた仏歯のレプリカがありますが、パゴダに納められているので、地震でもこなければ存在を確認することができません。 ちなみに、バガン遺跡には仏歯以外にも初代アノーヤター王が、パゴダを建立し、仏髪と釈迦のあごの骨を納めたと言われていますが、いずれも入口のない舎利塔に入っているので、真偽のほどはわかりません。

ところが、このキャンディでは仏歯が衆目にさらされています。いったいなぜ、そうなったのかと言いますと、奪われる危機に何度も瀕しているからなんですね。異教であるインドのチョーラ朝が興ると、セイロン島に侵攻、長い間栄華を誇った仏教都市アヌラダプラはあっという間に崩壊してしまいます。シンハラ仏教も衰退し、僧侶らは当時仏教信仰が盛んだったモン族の支配地域(ミャンマーとタイにまたがる地域)へと避難します。

仏歯はこの混乱期に一時期所在不明となりますが、また仏教界に戻ってきています。この時国外に持ち出されなかったことが良かったのでしょう。それ以降、スリランカという国は遷都を繰り返し、仏歯を守るために攻められる度に都を移しています。そのため各地に仏歯寺があるくらいなのです。だから、他の多くの国の信仰物と異なり、この仏歯は緊急時に移せるようになっているわけです。

この仏歯がいかに大きな存在だったかは、バガン王朝の行動を見ればわかります。11世紀インドシナの新興国であったバガンは、その軍事力を背景に国土を拡大していました。また、仏教を国是とし民心を束ねようとしたアノーヤター王は、隣国のモン・タトゥン国を滅ぼすと、三蔵経典を入手、大勢の僧侶をバガンに移住させます。そして名実ともに最大の仏教国になるのですが、ここでバガン王はシンハラ仏教の復活を目指すのです。“スリランカ仏教の復活はバガンのプロジェクトとして行われた”と当のスリランカ考古庁が言っているのですから本当なのでしょう。

そして、バガンは、大勢の僧侶と唯一現存していた三蔵経典、さらに兵力を、ときのシンハラ王ヴィジャヤバーフ1世に送り届けるのです。不思議なことに、ビルマ初の統一王朝を建国し、隣国まで支配地域を広げるほど、飛ぶ鳥を落とす勢いだったアノーヤター王ですが、こと仏教に関しては、スリランカを兄国として顔を立てることに終始します。俗的な考え方をすれば、東南アジアの仏教を完全にリードできる立場にありながら、崩壊寸前の、というよりもほぼ崩壊していたシンハラ仏教を立て直そうとするなど、とても権力者の行動とも思えません。これまた失礼な言い方ですが、唯一現存していた経典を手に入れたのに、それを手放し、そのお礼にレプリカの歯をもらって喜んでパゴダを建てるというのは、やはりよほど仏教に心酔していたということなのでしょう。

バガンに移住した僧侶たちはもともと、モンのタトゥン国にいました。いわゆる「スワンナブーム」という伝説の仏教聖地が本当にあったとして、あったとすればモン族の支配地域だというのが定説のようですが、スリランカに失われていた三蔵経がこの地にあったことからも、仏教の盛んな場所でした。そして、私は、バガンに移住させられた僧侶のうちの何割かはシンハラ人だったのではないかと考えています。 つまり、ヒンドゥー・チョーラ朝の侵攻によって高僧を含む大勢の僧侶がアヌラダプラからモンに逃れた。バガン朝アノーヤターはこれを攻め、バガンに移住させ、彼らによって初期バガン仏教は支えられた。そして、王はそのうちのシンハラ人を三蔵経典とともに、セイロン島に送り届けた。どうもこういう流れのように見えます。とすると、アノーヤターは当然本物の仏歯のことを知識として持っていたでしょうし、仏歯があるシンハラ仏教こそが信仰の中心であるべきだと考えたのでしょう。 ともかく、バガンの支援によってスリランカは国土を回復、シンハラ仏教は上座部仏教として、インドシナ各国で信じられる一大宗教に発展していったのです。

それから1000年もの時が過ぎ、仏歯を祀るキャンディの仏歯寺は観光名所になりました。でも、ここまで読んでいただいた方には、もし仏歯寺に行く機会があったら、この歯を守るためにシンハラ王朝は遷都を繰り返し、遠い海を隔てたバガン王朝も同様に復活を全力で支援し、いまに至ってるのだという歴史のロマンを感じていただけたらと思うのです。

 

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