“ポロンナルワの魅力”
2024年11月25日
スリランカの文化三角地帯の中でも、ポロンナルワ遺跡は少し独特です。広大な都市に広がるアヌラダプラの遺跡や、景観の方が有名となっているシーギリヤロックと異なり、ポロンナルワは、ほとんど廃墟でありながら、多くの建築物がところ狭しと建ち並んでいたことを窺わせる遺構がたくさん残っています。
遺構やストゥーパばかりのポロンナルワ遺跡ですが、ここではスリランカ史において2度の大きな変革が起きています。そして、そのいずれもがスリランカにとって輝かしいできごとなわけですが、おそらくまったく知らずにぽっと訪問しただけでは想像だにできないでしょう。
ポロンナルワが最初に光り輝くのは、11世紀にヴィジャヤバーフ1世が国土のほとんどを征服されながら、反撃の狼煙をあげ、この地を奪還したことです。チューラバンサ(スリランカ小史)の記述を読むと、仏教国家として飛ぶ鳥を落とす勢いだったバガン王朝の援軍があったようですが、インドの大国チョーラ朝を駆逐し、この都市を首都と定め、シンハラ王朝を再興したのです。
そして、復活を遂げるとすぐに、ほとんど崩壊していたシンハラ仏教の復活に心血を注ぎます。当時スリランカ仏教は完全に衰退していて、“高僧が少なすぎてサンガ(僧団)となりえなかった”といわれていますので、一般には高僧が4人以下になっていたとされています。そのためバガン朝アノーヤター王を恃みとし、大勢の僧侶と三蔵経典を送ってもらい仏教界の再興を図るのです。
余談ですが、この大勢の僧侶と三蔵経典については、バガン王朝がモン・タトゥン国から奪ったものとされますが、僧侶の中にはシンハラ人の僧侶が多く含まれたものと考えています。つまり、アヌラダプラ瓦解とともに、当時の僧侶らは国外へ逃れ、仏教が盛んだったモン族の支配地域(現在のタイ・ミャンマー国境)に避難した。それをバガンが滅ぼし、バガンに移り住んだ彼らは新星バガン仏教界の礎となっていたことでしょう。バガン初代王アノーヤターはシンハラ王朝の復活を心から支援し、チューラバンサではヴィジャヤバーフ1世がアノーヤターに対し「友人であるアノーヤター(当時の呼び名はアヌルッダ)王よ」と呼びかける場面すらありますが、兄弟のような関係であったことがわかります。
話を戻しますと、ヴィジャヤバーフ1世がまだ王子だったころ、高僧のひとりから、「あなたは王家の血を引いていなさる。いまやこの国は異教の領土となってしまった。王となり、仏教を再興できるのはあなたをおいて他にはない」と懇願され王になる決意をしたと言います。それはまだ弱冠16才のときのことだと言いますので、それがたとえただの伝説だとしても歴史のロマンを感じずにはいられません。
さて、時代はくだり12世紀に「大王」という称号で呼ばれるパラクラマバーフ1世が出ます。この王が成し遂げたのが、仏教の一本化、いまに伝わる大寺派を正統と定め、上座部仏教を国是とします。また、パラクラマバーフ1世はこれをインドシナの仏教国にも強制します。そう、シンハラ仏教の復活を援けたバガンにもです。そのためバガン王朝内では、侃々諤々の議論が200年続き、最終的に大寺派に吸収されていったとされています。
また当時この地に首都があったポロンナルワ王国は軍事大国だったらしく、バガンにもバガン王を廃嫡するために出兵したことがありますし、インドにも出兵しています。つまり、南伝仏教として上座部を普及していったのも、この軍事力が背景にあったといえるでしょう。
いずれにしても、パラクマバーフ1世がそれまであった各宗派を大寺派に一本化し、それをインドシナに強要したために、現在まで上座部が残ったといえるかもしれません。
スリランカでは具体的にどう変わったか見えづらいですが、バガンでは壁画から大乗色が一斉になくなりますし、タイのスコータイでもその頃から仏龕などの上座部色が非常に強くなります。
南伝仏教により仏教が伝わっていったというのは大きな誤りですが、上座部色が強くなっていったのは確かです。当時の上座部以外の宗派はともすれば堕落や腐敗しがちな宗教だったようですし、ストイックな教義である上座部は民衆を束ねるのに都合がよかったというのは言えるでしょうが、その反面現世利益的な宗教に民心が移りやすいという欠点があると思います。それを21世紀まで受け継がせたというのはいちばんの王の功績だと思います。
最後に、ポロンナルワが250年もの間首都だったにも関わらず、コンパクトな都市だったのは、何度も大国インドからの圧迫を受けたためです。王朝時代も戦乱にあけくれ、最後には結局都を放棄せざるを得なくなり、その後19世紀にジャングルの中から発見されるまで放置されてきました。
そのため修復も最近まで行われず、原形がどのようなものだったか分からないものも多く、現在のような姿になっています。
ですが、250年の間にポロナルワで起きたできごとは、その後のスリランカを形づくったものも多く、小さな都市であったにも関わらず上座部仏教はインドシナの多くの国で信じられる一大宗教に発展しましたし、いまに伝わる多くのシンハラ文化がこの頃形成されていったのです。
そういう視点でみますと、狭い範囲に密集する遺跡群も大きく見え、セイロン島で燦然と輝いたその繁栄を垣間見ることができるではないでしょうか。
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